切迫早産入院生活 6日目 「頑張れ赤ちゃん、頑張れ私」
1月29日・・・子宮頚管 1.6㎝ 27w
1月31日・・・子宮頚管 1.3㎝ 28w
お腹の張りなし、出血、破水なし。
1月28日より、切迫早産で入院することになった。
最初の病院は家の近くの病院で、最近建て直した病院のため、非常にキレイで快適だった。
運よく個室に入ることも出来、ご飯もそこそこ美味しく、リトドリンも内服だったため、体も楽で暇なのだけが苦痛だった。
そんな入院生活にも慣れてきた4日目、転院が決まった。
先生に診察していただいた時に、お腹の張りもなく、安静に生活しているはずなのに、子宮頚管が3mmまた短くなっていたのだ。
「子宮が収縮して短くなっているのであれば、安静にしていれば伸びたりすることもあるんだけど、あなたの場合はお腹も張っていないのに、短くなるからどうしたらいいんだろうね。念のため、早産のリスクを考えNICUがある大きな病院に転院しよう。家族の人を呼んでください。」と言われた。
部屋に戻って、急に赤ちゃんのことが心配になった。自然と涙がこぼれ落ち、
「健康に産んであげられなかったらこの子に申し訳ない」
という気持ちでいっぱいだった。安静にしているのに、なんで子宮頚管は短くなってしまうのだろう・・・できることはやっているのに・・・
その後、旦那さんと母親に連絡し、二人ともすぐに来てくれた。本当に有難い。
先生から二人にも同様の説明があり、私は人生初の救急車で搬送されることが決定した。
全然歩けるのに、ストレッチャーに乗せられ、がたいのいい兄さんたちに運ばれる。
大きな病院への移動中、救急車の中はけっこう揺れる。サイレンの音もうるさくお腹の赤ちゃんが興奮?しているのかやたら動いているのが印象的だった。
がたいのいい兄さんは優しく、時々私に「大丈夫ですか?」「気分は悪くないですか?」 などと声を掛けてくれた。
NICUのある次の病院に到着。
またしても重病患者のようにストレッチャーで運ばれ、産婦人科病棟に到着。
到着後、子宮頚管と赤ちゃんをエコーで確認し、今まで内服だったリトドリンが点滴に変わった。この病院では点滴が主流らしい。痛いし、24時間ずっとこの鎖につながれるのかと思うと気分が憂鬱になった。
当初お腹の張りもなかったことから、2週間くらいで退院することを目標としていた。
が、しかし、私の状況は思ったより深刻である事を実感し、赤ちゃんが早産になるのではないかという不安と、入院生活が36wを迎える3月末までの2か月になりそうだ・・・
という絶望感からこの日はずっと泣いていた。
旦那さんとお母さんの前でもずっとメソメソし、二人が帰ってからも部屋でずっと泣いていた。リトドリンの点滴の副作用なのか身体は熱いし、新しい病院ではMFICUという特別な病棟だったため、規制も厳しく前より自由に動けなくなってしまった。
泣きつかれて就寝。
翌朝、寝ておきたら少し気分は回復していた。
旦那さんとお母さんには弱音や愚痴のラインを送ってしまったが、どうにか自分で気持ちを前向きにするために立ち直ろうと思った。
前は退院を望んでいたが、今は2か月の入院生活を覚悟しようと思った。
むしろ、早産にならず、2か月ここにいれたら万々歳なのだと。
そう思ったら2か月ここにいることが目標のように感じられた。
私の母も切迫流産からの切迫早産で、8か月入院して私を産んでくれた。
小さい頃からその話は何度か聞かされたが、
「ふーん。大変だったんだね。」くらいにしか思っていなかった。
今、自分が入院生活を送る中で初めて母が私を産んでくれたことへの感謝の気持ちが沸いてきた。
お母さんが頑張ってくれたお陰で私は今健康で、幸せに暮らせているんだと。
たった2か月の入院で心折れているようではダメだと思った。
お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん、たくさんの人たちがお母さんを支えてくれて、大きな愛をたくさん浴びて私は産まれてきたんだと思ったら胸が熱くなった。
今入院していて、私はたくさんの人に支えられている。
旦那さんとお母さん。
毎日来てくれるこの二人には身の回りの世話から私の愚痴まで、本当に頭が上がらないくらい支えれている。
お父さん。
何かをしてくれるわけではないが、まめに会いにきてくれて実はとても心配してくれているのが伝わってくる。
友達。
やっぱり友達と話すのは1番元気がもらえる。
義理のお父さん、お母さん。
私のプレッシャーになるようなことは一切言わず、いつも心と身体を労わって優しい気持ちで接してくれる。
最後に医療スタッフの皆さん。
お医者さん、看護師さんの優しさと頼もしさを実感する機会が多く、「プロってすごい!」と感動の毎日だ。
看護師さんは私が精神的に弱っていた時に話を聞いてくれたりして、いつも明るく優しくて、精神的にも支えてくれた。
とにかく、私は多くの人に支えられて、今出産に向けて頑張っている。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
私がお母さんに産んでもらった時と同じように、今お腹の中にいるこの子も産まれた時にはきっとみんなに祝福され、たくさんの愛情を注がれるだろう。
頑張れ赤ちゃん、頑張れ私。